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シュトラースブルク (軽巡洋艦) : ミニ英和和英辞書
シュトラースブルク (軽巡洋艦)[かん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ブル : [ぶる]
 【名詞】 1. bull 2. (n) bull
: [けい]
  1. (n,pref) light 
巡洋艦 : [じゅんようかん]
 (n) cruiser
: [かん]
  1. (n,n-suf) warship 

シュトラースブルク (軽巡洋艦) : ウィキペディア日本語版
シュトラースブルク (軽巡洋艦)[かん]

シュトラースブルク () は、1911年進水ドイツ帝国海軍小型巡洋艦マクデブルク級3番艦である。艦名は建造当時ドイツ領であった都市シュトラースブルク(現在のストラスブール)に因む。
== 艦歴 ==
シュトラースブルクは帝国海軍ヴィルヘルムスハーフェン造船所で建造され、1912年10月1日に就役。第一次世界大戦では1914年8月28日に発生したヘルゴラント・バイト海戦に参加した。
大戦後は賠償艦として1920年7月にイタリア王国へ譲渡された。イタリア海軍ではイタリアの都市ターラントに因み、ターラントと改名された。
1921年から1924年にかけて88mm高角砲2基を国産のアンサルド 7.6cm(40口径)単装高角砲2基に換装した。次いで1926年に水上機1機を搭載した。
1936年から1937年にかけて植民地警備艦として改装が行われ、高速よりも燃費が重視されたために主ボイラー2基と艦橋の真後ろの煙突1本が撤去されて3本煙突となった。これにより出力は13,000馬力に低下して速力は21.0ノットとなった。代わりに燃料庫が拡げられて石炭1,303トン、重油130トンに増載できた。武装面においては魚雷発射管は50cm連装魚雷発射管2基と13.2mm(76口径)単装機銃2丁が追加された。
外観上の特徴として、1番煙突と2番煙突を一体にし、他の煙突を含め頂部がやや短くされ、キャップが設けられている。タラーントは1943年9月にラ・スペツィアで自沈した。ドイツ海軍により浮揚されるが、連合軍の爆撃を受けて撃沈。もう一度浮揚されるが1944年9月23日の空襲で沈没した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「シュトラースブルク (軽巡洋艦)」の詳細全文を読む




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